日本メノナイト白石キリスト教会

聖書からのメッセージをお届けします。

◎受難節 第31日 水曜日

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●サムエル記 第一 8章4~7節

"イスラエルの長老たちはみな集まり、ラマにいるサムエルのところにやって来て、彼に言った。「ご覧ください。あなたはお年を召し、ご子息たちはあなたの道を歩んでいません。どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」
彼らが、「私たちをさばく王を私たちに与えてください」と言ったとき、そのことばはサムエルの目には悪しきことであった。それでサムエルは主に祈った。
主はサムエルに言われた。「民があなたに言うことは何であれ、それを聞き入れよ。なぜなら彼らは、あなたを拒んだのではなく、わたしが王として彼らを治めることを拒んだのだから。"

  イスラエルの長老たちは、さばきつかさであり、主の預言者であるサムエルを退けて、他国のような王を欲しがりました。それは、サムエルを否定するだけではなく、サムエルを遣わした主をも否定したということです。

  主イエスエルサレム入城の際、多くの人がイエスイスラエルの王として迎えました。しかし、その週の金曜日には、その王であるイエスを否定し、十字架につけるよう総督ピラトに叫んだのでした。罪状書きにはピラトによって、こう記されました。

「ナザレ人イエスユダヤの王」

 

キリストは王であり、また私たちの大祭司でもあると聖書は言います。

 

"しかしキリストは、すでに実現したすばらしい事柄の大祭司として来られ、人の手で造った物でない、すなわち、この被造世界の物でない、もっと偉大な、もっと完全な幕屋を通り、
また、雄やぎと子牛の血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられました。"
ヘブル人への手紙 9章11~12節

  キリストは神の恵みの大祭司として天の聖所に入り、犠牲をお献げになりました。キリストがお献げになったのはご自分の血潮でした。それによって永遠の贖いが成し遂げられました。

  生ける神に仕え、本当の礼拝を献げたいと願います。生ける神である主を礼拝することを可能にするのはキリストの血潮です。本当の礼拝を実現するのは私たちの犠牲ではありません。神ご自身の犠牲なのです。神の犠牲によって神の身許に至る道が開かれました。どの礼拝も、どの聖礼典もキリストの血による新しい契約に基づいています。どの説教にも、どの祈りにもキリストの血潮が振りかけられているのです。

 

  私たちは、その神の御子、主イエスの犠牲がそこにあることを知らず、王であるイエスの死刑を求めました。神が与えた王を退けたのです。しかし、神はそのキリストの死と復活をもって、キリストが永遠の王であることを明確に示されました。

  いばらの冠はキリストの王冠であり、十字架はキリストの玉座になったのです。

  今日も、あなたのために苦しみの道、十字架への道を歩まれたキリストこそ、真の王であり大祭司であることを信じ、受け入れてまいりましょう。

 

【祈り】

チャールズ・ヘンリー・ブレント(聖公会司祭1862年〜1929年)

 

イエス・キリスト

あなたは十字架の堅い木の上で愛の御腕を広げて

全ての者が来て、あなたの御腕に抱かれるようにしてくださいました。

それゆえ、あなたの御霊をまとわせてください。

今度は私たちが愛をもって腕を伸ばし

あなたを知らない人々にあなたを知らせ

あなたの愛をもたらすことができますように。

 

【参考文献】

小泉健『十字架への道はない 受難節の黙想と祈り』日本キリスト教団出版局,2019年