"アンモン人の首長たちは、主君ハヌンに言った。「ダビデがあなたのもとにお悔やみの使者を遣わしたからといって、彼が父君を敬っているとお考えですか。この町を調べ、探り、くつがえすために、ダビデはあなたのところに家来を遣わしたのではないでしょうか。」"
統一イスラエル王国を確立したダビデ王は、アンモン人の王ハヌンに家来を遣わして、かつての恩に報いようとしました。しかし、アンモン人の長老たちはダビデ王のその厚意に対して、疑いをもち、心を頑なにし、ダビデが遣わした使いたちに恥をかかせて、ダビデの厚意を踏みにじったのです。
頑なな心は、アンモン人たちならびにそれを支援する者にも、結局は不幸をもたらすことになったのでした。疑いや恐れは、無駄な血を流す結果となったのです。しかも、ダビデから遣わされた家来たちに対する侮辱はダビデへの侮辱であり、頑な心がもたらす行動全てが歪んでいることがわかります。
頑なな心について聖書はこう言います。
"幸いなことよ、いつも恐れる心を持つ人は。しかし、心を頑なにする者はわざわいに陥る。"
箴言 28章14節
ここで、幸いなのは恐れる心を持つ人だと書いてあります。これは主を恐れる者ということです。しかし、心を頑なにする者はわざわいに陥るのです。
アンモン人たちは、心が頑なであったためダビデから差し伸べられた和睦の機会を逃して自らをピンチに追いやったのです。私たちも信仰を失い、頑なな心になるなら、主のからの恵みを受け取れないばかりか、滅びをもたらす結果となるのです。
アンモン人たちがすべきことは、ダビデを通してもたらされた神の愛と恵みを、素直に受け取ることでした。
今日私たちも、主を恐れ、主を愛することを求めてまいりましょう。大切なことは、先に与えられている主からの恵みに素直に感謝して受け取ることです。それを信仰と言います。
神からの恵みを受け取る。それが信仰です。その信仰を神は喜ばれるからです。
"信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。"
ヘブル人への手紙 11章6節