のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

「福音を文脈化してはいけない」水草修治牧師の神学ノートより。https://ameblo.jp/caelnouta/entry-12552592896.html

ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人たちには──私自身は律法の下にはいませんが──律法の下にある者のようになりました。律法の下にある人たちを獲得するためです。律法を持たない人たちには──私自身は神の律法を持たない者ではなく、キリストの律法を守る者ですが──律法を持たない者のようになりました。律法を持たない人たちを獲得するためです。」(1コリント9:20,21)
ユダヤ人にもギリシア人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰を証ししてきたのです。」(使徒20:21)

 

 宣教に関して「コンテクスチュアライゼーション」という英語があります。コンテクストは文脈ですから、「文脈化」です。「福音をある文化の中に住む人々に伝えるにあたっては、福音を、その人々の文化にコンテクスチュアライズしなければならない」と語られます。けれども、聖書に照らすと、もう少し丁寧に考えるべきです。 

 パウロは、ユダヤ人に福音を伝えるために、彼らに無用なつまずきを与えないために豚肉を食べないことなどユダヤの律法を守る生活をしました。また、ギリシア文化圏に属する人々に福音を伝えるためには、彼らと同じものを食べました。つまり、福音を伝える器であるパウロの生活の仕方を文脈化したのです。ハドソン・テーラーが清の時代の中国人に福音を伝えるために、辮髪(べんぱつ)にしたというのも同じです。

 他方、パウロは、自分が伝えた福音のメッセージは、相手がユダヤ人だろうとギリシア人だろうと同じだったと言明しています。すなわち、「神に対する悔い改めと、主イエスに対する信仰」です。人は正義の審判者である神の前に有罪であるから悔い改める必要があり、十字架で私たちの罪を背負って死んでよみがえられた主イエスを信じなければならないということです。つまり、パウロは伝道者である自分の生活の仕方はコンテクスチュアライズしましたが、福音のメッセージはコンテクスチュアライズしなかったのです。

 現代日本の文化の中に生きている人たちに、知恵を尽くして工夫をして伝道することは良いことです。けれども、「新しい福音理解」とか「現代日本人にマッチした福音理解」「日本的キリスト教」などといって、福音のメッセージの内容をすり替えてはいけません。「神に対する悔い改めと主イエスに対する信仰」は時代も文化も超えて不可変のメッセージです。(日々のみことば2019年11月号に掲載)