ダニエル書 5章26~28節
"そのことばの意味はこうです。『メネ』とは、神があなたの治世を数えて終わらせたということです。
『テケル』とは、あなたが秤で量られて、目方の足りないことが分かったということです。
『パルシン』とは、あなたの国が分割され、メディアとペルシアに与えられるということです。」"
ここに登場するバルシャツァル王の姿は、私たち人間の世界の投影であり、私たち自身の姿とも言える。力ある者、富んでいる者がその力も富もすべて自分のためだけに使う。そして、自分を更に肥えさせて、他者のことは忘れ果てていく。信仰すら娯楽に変え、ご馳走を食べ、酒を飲み、贅沢をして、これが豊かだ、これが幸福だと錯覚している。
このような私たちに神はギリギリまで待ち、なおも語り続けるのである。ダニエルは終わりを迎えた国の手の施しようのない王にも、神のことばを取り次いだ。
今日も、この世に語られる神のことばに、語られているうちに耳を傾けて、聞き取り従っていきたいものである。
《シリアのエフライムの祈り》
主イエス・キリストよ。
あなたに栄光があるように。
あなたは死を越える橋として、
あなたの十字架を立てられた。
だから死者の魂は、死の国を過ぎていのちの国へ至るのである。
あなたに栄光があるように。
あなたは死ぬべき人間の体を見にまとい、
その御体を
すべての死ぬべき人間のいのちの源にされた。
あなたは生きておられる。
あなたを殺した者たちは農夫のようにあなたのいのちを扱った。
すなわち種を蒔くようにあなたのいのちを深く地に蒔いた。
あなたのいのちが多くの人と共に芽生え、育つためである。
私たちは私たちの愛を
大きな、普遍的な犠牲としてあなたに献げ、
私たちのもっと豊かな賛美と祈りを
あなたに注ぎ出す。
あなたは、私たちすべてを豊かにするために、
あなたの十字架を犠牲として神に献げてくださったのだから。