"もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。"
ガラテヤ人への手紙 2章20節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
「キリストが私のうちに生きておられる」と断言できるのは、使徒パウロだからでしょうか。それは違います。私たちもキリストとともに十字架につけられたのです。私が生きているのも「私を愛し、私のために、ご自分を与えてくださった神の御子に対する信仰によるのです。」この箇所を聖書協会共同訳では次のように訳しています。
「私を愛し、私のためにご自身を献げられた神の子の真実によるものです。」
それは、キリストが私に代わって真実でいてくださり、またキリストが私をどこまでも信じ通してくださったから、このキリストの真実によって私は救われたし、私は今生きているという意味になるでしょう。
しかし、そのためにも、私たちもまた、そのキリストを信じて、いただいたキリストの真実によって、益々、キリストに対する信仰を篤くするという、キリストに対する信仰が必要です。
●マルティン・ルター(1483〜1546)の祈り
主よ
自分自身のことを顧みると、私は滅びるばかりです。けれども、ああ主よ、あなたの御霊は私をきよめ 私を支えてくださるに違いありません
聖霊によらなければ、どんな恵みも賜物もあなたの御前に十分ではありません。
アダムと罪とによって
私たちはことごとく失われており、
恵みによるいさおがなくては、すべて無益です。
どうかもう一度、あなたの救いについての喜ばしい、確かな意識を私に与えてください。
【参考文献】
小泉健『十字架への道』日本キリスト教団出版局、2019年