のりさん牧師のブログ

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獄舎で神を賛美する

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使徒の働き 16章25~40節

 

"真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた。


すると突然、大きな地震が起こり、牢獄の土台が揺れ動き、たちまち扉が全部開いて、すべての囚人の鎖が外れてしまった。


目を覚ました看守は、牢の扉が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。


パウロは大声で「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」と叫んだ。


看守は明かりを求めてから、牢の中に駆け込み、震えながらパウロとシラスの前にひれ伏した。


そして二人を外に連れ出して、「先生方。救われるためには、何をしなければなりませんか」と言った。


二人は言った。

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」

 

 そして、彼と彼の家にいる者全員に、主のことばを語った。
看守はその夜、時を移さず二人を引き取り、打ち傷を洗った。そして、彼とその家の者全員が、すぐにバプテスマを受けた。
 

 それから二人を家に案内して、食事のもてなしをし、神を信じたことを全家族とともに心から喜んだ。


 夜が明けると、長官たちは警吏たちを遣わして、「あの者たちを釈放せよ」と言った。
 そこで、看守はこのことばをパウロに伝えて、「長官たちが、あなたがたを釈放するようにと、使いをよこしました。さあ牢を出て、安心してお行きください」と言った。


 しかし、パウロは警吏たちに言った。

「長官たちは、ローマ市民である私たちを、有罪判決を受けていないのに公衆の前でむち打ち、牢に入れました。それなのに、今ひそかに私たちを去らせるのですか。それはいけない。彼ら自身が来て、私たちを外に出すべきです。」


 警吏たちは、このことばを長官たちに報告した。すると長官たちは、二人がローマ市民であると聞いて恐れ、自分たちで出向いて来て、二人をなだめた。そして牢から外に出し、町から立ち去るように頼んだ。


 牢を出た二人はリディアの家に行った。そして兄弟たちに会い、彼らを励ましてから立ち去った。"

 

 どこにいても、どんな環境でも神を賛美するパウロとシラス。どうしてこんなことが、とか、なんで私がこんな目に、などと言わず、この苦難にあっても人のせいにも神のせいにもしないで、ただ神を賛美する二人のクリスチャンの姿は、現代という獄舎に置かれている私たちに対する模範です。

 

 私たちは、今、置かれている状況で何をしているでしょうか。何を考えているでしょうか。神に感謝しているでしょうか。それとも誰かを呪って居るでしょうか。不満が爆発しているでしょうか。爆発しないまでも沸々と抱え込んでいるでしょうか。

 このあと、パウロとシラスは神の奇蹟を体験します。それは、同じ獄舎に囚われている人々の心を神に向かわせたことと、地震が起こってその獄舎から解放されるということです。しかし、彼らの関心事は、その苦難と思われる環境からの解放ではありません。彼らにとっての優先事項は一人の獄吏の救いでした。

 しかも、その家族までもがキリストを信じてバプテスマを受けるのです。

 

 私たちも、今置かれている状況で、何を見ているか、何を第一にしているかでそのあとの状況が変わってきます。

 

 もし、神に目を注ぎ、神からの恵みを覚え、恵みを反芻して味わうとき、あなたの心には神への賛美が生まれます。そして、その神への賛美はそれだけでは終わりません。その賛美を受けられた神ご自身が、その賛美を喜ばれて、ご自身の栄光の御業をなされるのです。

 

 今日も私たちの置かれている状況は牢獄のように暗く、冷たく、汚れているようなものかも知れません。しかし、神は、あなたが神を見上げて神を賛美することを待っておられます。

 その神の眼差しを今日、あらためて感じましょう。讃美歌作者で有名なファニー・クロスビーはこのような讃美歌を残しています。

 

「ああ、嬉しわが身も、主のものとなりけり。浮き世だに、さながら天つ世の心地す。歌わでやあるべき。救われし身の幸。たたえでや、あるべき、御救いのかしこさ。」

 

 今日も、神を賛美し、みことばを語り続けましょう。

「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。」