使徒の働き 17章10~12節
"兄弟たちはすぐ、夜のうちにパウロとシラスをベレアに送り出した。そこに着くと、二人はユダヤ人の会堂に入って行った。
この町のユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも素直で、非常に熱心にみことばを受け入れ、はたしてそのとおりかどうか、毎日聖書を調べた。
それで彼らのうちの多くの人たちが信じた。また、ギリシアの貴婦人たち、そして男たちも少なからず信じた。"
パウロとシラスはペレアのユダヤ人の会堂に入って説教をしました。その内容は記されていませんが、このペレアのユダヤ人たちが聖書を調べたということから、イエスという人が旧約聖書で預言されていたキリストであるというメッセージだったのでしょう。
もしそうであるならば、これまで待ち望んでいたメシアが既に来たということですから、神を信じる者、聖書を信じる者として、そのメシアを受け入れなければなりません。
しかし、同じユダヤ人でも、そのメッセージに反発する人たちもいました。パウロとシラスもこのペレアに来る前には、その迫害を受けていたほどです。
ですから、このペレアでも同じように、パウロたちに反発する人が現れてもおかしくはなかったのですが、なんと彼らの中から信じる者たちが起こされたのです。
このように必ず、信じないで反発する人たちと、聖書まで調べて素直に信じる人たちに分かれてしまいます。
それはなぜでしょう。イエス様はこう言われています。
"わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っており、わたしのものは、わたしを知っています。"
ヨハネの福音書 10章14節
"わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます。
わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは永遠に、決して滅びることがなく、また、だれも彼らをわたしの手から奪い去りはしません。"
ヨハネの福音書 10章27~28節
これは、主の羊とそうでないものがこの世には混在しているが、そうであっても主の羊飼いとしての声に響く羊とそうでないものが明らかにされることを言っています。
主に選ばれている者はその声を聞き分けて群れに集まってくるのです。しかも、聖書まで調べて熱心にキリストの声に聴こうとすることは、主を羊飼いであると認識している者としてのしるしです。
ぜひ、今日、私たちも聖書をよく読んで、調べて、主イエスが益々私たちの主であること、牧者であることを味わい、この方について行こうではありませんか。