のりさん牧師のブログ

おもに聖書からのメッセージをお届けします。https://ribenmenonaitobaishikirisutojiaohui.webnode.jp/

◎葬儀司式

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"あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。"
伝道者の書 12章1節

 

昨日、牧師になって初めて葬儀の司式をしました。今回の葬儀は、家族葬というかたちながら、しかしキリスト教式で、礼拝の中で故人を送りたい。そういう家族の思いの中で進められた葬儀でした。

 

前日の施主の方(故人の長女)をはじめご遺族との打ち合わせのときに、葬儀とすべきか、お別れ会とするべきか考えました。それは、今回の葬儀が、他に見られるような前夜式はなく、また告別式もなく、出棺式もなく、火葬前式もない、実にシンプルな葬儀だからです。

 

それで、次女の方の提案で、お別れ会ではなく、召天式が良いということになりました。そして、召天式次第のお名前も、敬称ではなく、クリスチャンらしく「〇〇姉妹」として、故人が暫く教会には通っていなかったけれども、ここに信仰者としての旅路の転換点があることを大切にしたのです。

 

そして、実際の昨日の召天式は、施主である長女の方の奏楽で、とても明るく希望に満ちた式が始まりました。喪主(故人の夫)も最前席に座っていましたが、認知症が進み、どこまで何をご存知なのかわかりませんでした。

しかし式が進み賛美歌を歌ったとき、何とご主人が賛美歌を自分なりに歌い出したのです。後で娘さんから伺いましたが、お父さんは今まで一度も賛美歌を歌ったことがなく、むしろお母さんの信仰をよく思っていなかったということでした。

 

それは妻の亡骸を前に、妻が大切にしていた信仰を、ご主人が受け入れた姿だったのです。私たちは勝手に、もう無理だと諦めることが多いものですが、神様の前に不可能はありません。認知症があっても神様にとってそれは何の障壁にならず、かえって同席した私たちに天国への希望を与えるものとなったのです。

 

式が終わり、施主である長女と次女が一緒に私の控え室に来られたとき、お二人から伺ったのは、そういう事実でした。私も心から神を崇めました。主の奇蹟、主の御手のうちにあるものは、すべて神によって支配され、神の恵みの中に取り込まれるのです。

 

「あなたの若い日にあなたの創造者を覚えよ」今、故人は神の懐で私たちにそう語っている。そして認知症が進んでいるご主人にも、そして、集まった親族でまだイエス様を信じていない人に、「あなたの創造者を覚えよ」と言っておられると思うのです。

 

私はその素晴らしい神様の業を思い巡らしながら、車を運転して家路につきました。

 

今回、初めて葬儀の司式をさせていただきましたが、別れという淋しさはありつつも、この幸いな席に置いてくださった主に心から感謝しています。