"「見よ、わたしはおまえを敵とする。──万軍の主のことば──おまえの戦車を燃やして煙にし、若い獅子を剣が食い尽くす。おまえの獲物を地から絶やし、おまえの使者たちの声はもう聞かれない。」"
聖書 新改訳2017
聖書には聞きたくない言葉もたくさん書いてあります。恵みや祝福の言葉は聞きたい、読みたい言葉ですが、さばきや滅びの話は聞きたくない、読みたくない、知りたくないです。
しかし、神様があえて厳しい言葉を語られることは、そうならないようにあらかじめ知らせてくださっているということなのです。そうでないなら、言葉を語らず、伝えずに、無言で滅ぼすはずだからです。
ですから、聖書に記されている厳しいみことばは警告として真摯に受け止め、そのようなことにならないよう、主の前に自己吟味して、誠実に歩めるよう祈りましょう。
今日のみことばは、当時のイスラエル王国の脅威であり、事実、イスラエルを滅ぼし、イスラエルの10部族を離散させたアッシリア帝国に対するさばきのことばです。
主は預言者ナホムによってこれを語り、警告を与えました。一度、預言者ヨナを遣わしてニネベの町が救われたことはありましたが、その主の憐みを忘れて、神の民を滅ぼしたのです。
そこには、恵みを忘れ、自らの罪を悔い改めず、悪を繰り返す者への神の怒りが表されています。しかも、この言葉は大変重いです。なぜなら、神の敵とされるという、そこには神から切り捨てられるという絶望しかないからです。
このようなことにならないためにも、いつも神の前に正直に罪を告白し、神との関係を正しく保たなければなりません。神から愛されている恵み、赦されている恵みをしっかりと覚えてまいりましょう。
そのために、御子キリストが神の愛とさばきの印となってくださいました。キリストがあなたの代わりに神の敵となって神のさばきを受けられたのです。その恵みを恵みとして受け入れるなら、あなたは神の敵とならずに、神の子どもとなる特権が与えられて、永遠の祝福に入れられます。
しかし、その神の御子が犠牲となった恵みすら忘れ、聞かずに自己中心に生きるなら、自ら神の敵となる道を選んだことになります。
だから、そうならないために神は警告をあたえつづけるのです。これを脅しと受け取らないでください。神は脅して、怖がらせて救おうとはしていません。かえって恵みを示して、憐みを与えて、そこにとどまることを願っているのです。
それを忘れて滅びることになったのはアッシリア帝国の罪です。
今日、私たちも神のことばに込められた私たちへの愛と恵みを受け取って、愛されている者としての感謝を捧げて参ろうではありませんか。
主はあなたを失いたくない。愛しているからこそ、厳しいことばも語られているのですから。
「わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。
見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」
ヨハネの黙示録 3章19~20節
聖書 新改訳2017